昭和12年に名古屋で開催された伝説の産業博「汎太平洋平和博覧会」に合わせて制作された観光ガイド。名古屋城や大名古屋駅、寺社、カフェー等の紹介から、遊郭等の夜の観光も網羅ッ!
昭和初期、大戦直前の名古屋の文化や雰囲気が伝わる1冊ッ!
【紹介】昭和12年、名古屋で開催された「汎太平洋平和博覧会」に合わせ、広告業を営んでいた稲川勝二郎は、観光ガイドブック『歓楽の名古屋』を刊行した。本書は名古屋城などの昼の観光情報に加え、夜の歓楽街・芸妓・遊廓の案内まで盛り込み、当時の都市文化や風俗を伝える貴重資料となっている。今回の復刻では、甲南女子大学の馬場伸彦氏による稲川の人物像に迫る解説を付し、付録として芸妓名鑑『中京藝妓之栞』を収録した。
【目次】【復刻】歓楽の名古屋【解説】稲川勝二郎と『歓楽の名古屋』馬場伸彦【付録】中京藝妓之栞
【著者】稲川勝二郎 (イナガワカツジロウ) (著)明治35年(1902)8月26日、大垣市生まれ。15歳ころに渡満。医学者で詩人・劇作家の木下杢太郎と出会う。帰国後大正9年に高木斐瑳雄と詩誌「金の盞」を創刊。翌10年に「角笛」と改め11号まで刊行する。大正11年、名古屋詩話会を結成。会員は井口蕉花、春山行夫、高木斐瑳雄、佐藤一英、三浦富治、稲川の6名。大正12年に詩集『大垣の空』(角笛詩社)を出版。大正13年、「名古屋新聞」社会部記者となる。昭和2年、八事天白渓土地支配人。昭和4年、文化図案社を創業。敗戦後、「輝久翠ホテル」取締役。名古屋市中区旅館組合の理事も務めた。詩誌「サロン・デ・ポエット」同人。また、宇宙時代社を設立し、詩誌「中部日本詩人」や、中部日本詩人会年刊詩集委員会編「中部日本詩人集」を年度版で刊行したりした。昭和41年5月13日、多発性骨髄腫により64歳で逝去。