咽頭をぐいと拭った綿棒に百万人の死の炎(ほむら)見ゆ
救命救急医が新型コロナウイルス禍の現場から歌を届ける。この閉塞状況の中、すべての医療従事者とすべての名もなき人々のために。
緊急事態宣言が連発され、本来の非日常が日常化していく中で、言葉が持つ力が次第に弱まっていくことを危惧している。しかし映像では伝わらない出来事や、声にならない声を言葉にすることが、現在の第三波まで続く不連続な局面を打開する希望になると信じている。
そしてまた、その不確実さや不連続な状況にもまれながら、医療従事者が目の前の出来事に、どう向き合ってきたかをこの禍が過ぎ去ったあとにも残しておきたいと思い、歌を詠み続けている。(著者あとがきより)
【収録歌より】マスクでも感謝でもなくお金でもないただ普通の日常が欲し世の中の風当たりにも耐えるよう防護ガウンを今日も着込んで昼が来て夜が来てまた昼が来て看護師はこれを一日と呼ぶ一日はかくも長きか口と皮膚覆われ今は肩で息する感染者最多でなければニュースでは天気予報のような扱い病棟に展開したる前線の向こう側へと常に降る雨この波を越えたら出そうと退職の書類が三度眠る引き出しモニターの音は消されて午前二時冷えたガラスを叩く五月雨必要に迫られ買った歯ブラシの悲しみに似た深く濃い青逝きて後PCRの結果出て今年の冬に人は二度死ぬ呼吸器を外せばすなわちこの世とは一つの大きな肺胞である少しずつ枕詞を変えながら「我慢の連休」「勝負の三週」口元が露わになれば恥ずかしくいつの間にやらマスクは下着
【著者プロフィール】犬養楓(いぬかい・かえで)1986年愛知県生まれ。18歳より短歌を始める。
現在、救急科専門医として救命救急センターに勤務。2019年「令和万葉集」をインターネット上で発表。cakesクリエイターコンテスト2020佳作。第63回短歌研究新人賞候補。note:tanka2020
twitter:@tanka2020