1686年進水、ハンザ自由都市同盟の一都市、ハンブルクの54門護衛艦。ハンブルク提督府と商業委員会から発注され、商船団を海外におけるハンブルクの貿易相手国まで護衛し、私掠船や海賊船の襲撃から守る任を帯びました。1683年火災により焼失。その際、最後まで船に残り命を落としたベーレント・ヤーコプゼン・カープファンガー提督は、国内のみならず各国からの哀悼の意を受けました。その後1747年まで、同名の4隻の護衛艦が作られ、商船団の護衛任務が続けられました。
・船体組み立て方式:バルクヘッド(フレームとキールを組み合わせる方式)・船体外板:シングルプランク(二重貼り)・飾り台:付属しています