フォッカーDr.1三葉機は、おそらく第一次大戦機中最も名の知られた機体でしょう。特に、戦死までの撃墜数80機を誇り、レッドバロンと呼ばれた第1次大戦トップエース、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵の乗機として余りにも有名です。初期生産型の320機が実戦任務に就いたのは1917年8月、最後の1機が実戦任務を解かれたのは1918年6月でした。約280機が戦闘中に失われていますが、多数が訓練中の事故で全損しています。この機体は操縦が難しく、いわゆるじゃじゃ馬でしたが、パイロットがいったん乗りこなすと、恐ろしい兵器になりました。終戦時、約20機のDr.1が残存していました。そのうち2機が第2次世界大戦までドイツの博物館で保存されていましたが、2機とも戦争中に失われました。そのため、オリジナルのDr.1は現存しておらず、完全な図面も残っていません。この機体の模型を設計する上でのひとつの困難として、実機も各部分の完全な図面も現存しないということがありました。エアショーや博物館で展示されているDr.1は、残された機体の一部分や写真から起こされた多数の図面のいずれかを使用したレプリカなのです。この模型の設計にあたり、こうした材料を元に可能な限り正確で実感のあるものとするあらゆる努力を尽くされています。製作は中級者以上向け和訳付属バルサ・プラスチックは入っておらず、木材は主にバスウッド(バードカービングで使用されるきめ細かい柔らかい白い木材)と白樺(バーチ)です。組立説明の日本語訳付属