愛玩拒否の人形 土井典とその時代 榊山裕子 (著)
土井典は暗黒舞踏の土方巽の代表作「肉体の叛乱」の模造男根を制作し、土方に背中を押され人形作品を発表するようになった。1974年の初個展「エロティックな函」では澁澤龍彦が推薦文を寄せ、種村季弘、土方巽、寺山修司、日向あき子らに注目され、人形界で特異な位置に身を置いた土井典。現代における真価を、芸術批評・ジェンダー批評の榊山裕子があらためて検証する。
<序章より引用>
【愛玩拒否の人形 】「私の人形の根底には、まず愛玩拒否っていうのがあるんだろうな。小さい頃から人形なんて 好きじゃなかったし」土井典は、あるインタビューでこのように述べている。土井には人形作家、造形作家、美術家 などさまざまな肩書があったが、現在では主に人形作家として知られている。しかし土井によれば、子どもの頃は人形で遊んだことがほとんどなかったという。彼女が本格的に人形を作るようになったのは、美大卒業後、マネキン製造会社に勤めてからのことである。 また土井の名を一躍世間に知らしめたのは、人形ではなかった。写真や舞台のために実際に装着する衣裳としての「貞操帯」や「模造男根」であった。 ウーマン・リブ前夜の、女性をまだ縛っていた「貞操」という概念を逆手にとるスキャンダラスな作品に土井は果敢に取り組んでいった。本書でみていくのは、フェミニスト・アートという言葉もまだなかった頃から、自らの性と身体に向き合ったひとりの人形作家、アーティストとしての土井典の姿である。)