映画「戦艦バウンティ号の叛乱」(1935・米)の題材になった、イギリス海軍の武装商船です。1787年、バウンティは艦長ウィリアム・ブライの指揮のもと、イングランド南部のスピッドヘッドを出発しました。 奴隷の食糧用のパンの木を、太平洋のタヒチ島で積み、西インド諸島へ移植するのが目的でした。バウンティは無事タヒチに到着し、5か月間滞在しましたが、タヒチを出発して3週間後、船内で反乱が勃発します。 反乱の原因は諸説ありますが、タヒチでの自由な生活に慣れた船員が、厳しい船上の生活に戻ることを拒否したという説や、「鉄の規律」と呼ばれたブライ艦長の厳しい規則が原因とも言われています。 二等航海士フレッチャー・クリスチャンに率いられた半数以上の船員が反乱に加わり、バウンティ号を乗っ取ると、ブライ艦長と体制派の船員18名は、大型ボートに乗せられ流されました。ブライ艦長は卓越した操舵術を駆使して、ボートで太平洋を横断し、インドネシアのティモールにたどり着き、やがてイギリスに帰還しました。乗っ取られたバウンティはその後タヒチに戻り、16人の反乱者が上陸しました。クリスチャンと数名は南太平洋のピトアケン島に向い定住し、バウンティはピトアケン島で燃やされました。組立説明の日本語訳なし・キットは右舷側の外板が開いており、船内の構造が見えるようになっております。