1806年文化露寇事件(フォボストフ事件)で用いられた船です。最初にペリーが黒船をひきい来航したのは1853年ですが、その半世紀まえにロシアのエカチェリーナ2世はイルクーツク総督の通商要望の信書と日本の漂流者6名をラクスマンに託し1792年に来日(根室)させていました。幕府は結局、長崎以外では国書を受理できないとして長崎への入港許可証を渡したうえで帰国させます。1804年ニコライ・レザノフが、許可証を持ち長崎に来航したにもかかわらず、半年以上も待たされた挙句、上陸の許可が行われませんでした。通商交渉を任務としていた彼は武力を背景にした恫喝交渉のみが唯一の解決方法と確信し、1806年、部下フォボストフに命じ日本の北方で略奪放火など襲撃を行わせます。これらを文化露寇事件(フォボストフ事件)と呼びます。
この事件は、その後国内に大きな影響を持ちますが、1811年のゴローニン事件の原因ともなります。ゴローニン事件は、千島列島測量を行い薪水を望み交渉にきていたディアナ号艦長ゴローニンを幕府が捕縛した事件です。ディアナ号副艦長リコルドは、問題の解決をはかろうと、国後沖で高田屋嘉兵衛※の乗る船のを拿捕しますが、この捉えた者と捉えられたものの二人の交流から、急速に日露間の関係が改善・正常化されていきます。
(※高田屋嘉兵衛は悲惨な貧しい境遇から身をおこし、現在の価格で1兆円ともいわれる資産を築いた豪商です。「菜の花の沖」(司馬遼太郎)で詳しくNHKでドラマ化もされています。司馬遼太郎はNHKの別の番組で「人の偉さの尺度を、たとえば英知と良心と勇気ということにすると、江戸時代を通じてだれが一番偉かったか。私は、高田屋嘉兵衛だろうと思う。それも2番目が思いつかないくらいに」と語っています。)
話がそれましたが、この船がキット化されたきっかけは、この時代をテーマにしたジュノとアボス(Juno and Avos)というロックオペラでの悲しいお話をきっかけとしているようです。
製作動画をまとめました。ぜひご覧ください→★★
・図面が特殊な規格用紙のため日本語図面はA1に縮小しており、図面スケール1:1のものとしてロシア語図面を添付しています。・精密滑車使用・縫製済セイル付属します。
・付属する縫製済みセールは、縫製が美しく、同好会の展示会にも出品できるレベルだと思います。(キット価格の1/3~1/4は、セイルの値段です。ベテランの方以外には、自作のものと区別がつかないと思います。リーフバンドやポイントをつければパーフェクトです)